鶯谷風俗求人と夜這い

鶯谷風俗求人への応募を考えている方は、このような話も知っておくと良いかもしれない。

日本では100年前まで「夜這い」というものが普通に行われていた。

夜這いとは何かというと、10歳前後の少年少女を近所のおじさん・おばさんが初体験させる、というものであった。いわゆる男女の肉体の相互交換、というものだ。

江戸時代の法令では夜遊びや夜這いの禁止令を出し、風俗的な取り締まりを強化した。明治時代には一夫一妻制を確立し、夜這いを弾圧する法令を次々と確率していった。また資本主義の普及と発達のために農民を都市に吸収して安価な給与で働かせた。このような都市や新興の工業地帯の性的欲求のために遊郭、三業地、淫売街などを創設し繁栄させる必要があった。元々農村地帯では慣行として夜這いが行われていたが、戦後の1950年代に完結した機械化や化学化によって第一次産業としての位置づけが変わり、以前のような宗教・信仰の関係を失ってしまった。農村では特に田植え前後は肉体的な作業が集中し、過酷であったために夜這い自体が娯楽的な要素を含んでいたことも事実だ。共同田植えの際には女たちが一列に並んで作業をし、誰1人としてサボることもできないので、疲れを紛らわせるために色々と猥談をしたりして笑って元気を出した。夜這いの話や若い者の評判やアソコの話をしたり、若い男が近くにいれば田んぼに招き入れて股に手を入れさせて相手がびっくりするのを楽しんだりした。

夜這いによってお互いを好きになるかどうかは別問題で、相性が合わなければもちろん難しい。アソコが大きいか小さいかでは関係性がずっと続くわけではない。昔の夜這いでは年上の娘たちが若い者の性教育をにない、壮年の男たちは娘たちの訓練をした。今の感覚では考えられないような性教育をしていたのだが、これはすっかり文化として農村に根付いていたため、父母が自分の娘や息子の童貞・処女卒業を依頼する場合があり、単に性的なテクニックがある相手だけではなく、人間的に信頼できる人を選んでもいた。

村では13~15歳くらいになると若衆宿に入り、2~6人が共同生活をした。いわゆる村の現役兵のようなもので、大体25歳くらいまで、結婚すると卒業になった。村の共同作業を手伝い、夜になると寺のお堂や店屋の前に集まって遊んだ。夜這いは若衆が入ると同時に始まって、相手は後家がメインになった。相手を選ぶクジをして、年長者が色々と教えて一緒に同行したり1人で行かせたりするが、村によってはすぐに夜這いをさせないところもある。

いざ夜這いになると経験済みの者はどんな人にあたるのだろうと楽しみで、未経験者はどんな人とあたるんだろうとワクワクしていた。年長者の中には「あの後家にあたったらエラい目に合うぞ」と脅したりしてからかった。

若衆が夜這いにいく数日前はセンズリせずに精を貯めておけ、というのと、その前に出しておけ、という両説があった。する側としてはどちらを信じればいいかよくわからず、どちらかといえば貯めておく説が有力であった。

実際にやってみると「こんなのものか」という不満を抱く者と、「こんなにいいものだったのか」と喜ぶ者の2つに分かれた。

だが、全ての夜這いが慣習通りで上手く終わった、というわけにもいかない。昔の障害者たちは村で生きることさえ難しく、この人たちがどう性教育を受けたかというと、障害者たちの肉親が性教育をして、一方が妊娠したという話もよくあったそうだ。

ハンセン病者や知的障害者は旅に出たり都市へ出て行くものも多かった。しかしこのような人たちにも生きて結婚もできる社会にしようと性教育を行っている。

実際に鶯谷風俗求人に応募して働くのと直結するかどうかはさておき、日本の性の歴史を知ることは日本人のエロの原点を知ることにもなるので、原始的な日本人の性欲を理解しておくとなお良いかもしれない。